独立時計師 フィリップ・デュフォー氏
フィリップ・デュフォー編
フィリップ・デュフォー氏(Philippe Dufour)は、スイスの高級時計業界において伝説的な存在であり、独立時計師の中でも最高峰と称される人物です。
その素晴らしさについて、今回は紹介したいと思います。
伝統技術の追求
デュフォー氏は、時計製造の伝統的な手法を守りつつ、それを最高の水準で昇華させています。彼の時計は、すべて手作業で製造され、現代の大量生産では再現できない卓越した仕上げを誇ります。
特に、手作業での「ミラー仕上げ」や「アングラージュ(面取り)」は時計界の教科書的な基準とされています。特に参考にしていることはパテック・フィリップの60年代までの手法だそうです。また1967年から約10年間、ジャガー・ルクルト社に在席していました。
いち早くコンピューターを時計作りに取り入れた事でも知られています。
独自のデザイン
彼が手掛ける時計は、シンプルながらも非常に高い技術力と美学が融合しています。
代表作である「シンプリシティ(Simplicity)」は、伝統的なデザインと手仕上げが特徴で、シンプルでありながら、細部に至るまで徹底的にこだわったデザインは、他に類を見ないものです。
限られた生産量
デュフォー氏の時計は非常に希少なものです。
年間数本しか製作されず、そのため市場での価値が極めて高いのが特徴です。限られた数しか作らない理由は、品質を妥協せず、一つ一つの時計に彼自身の魂を込めているためです。
時計業界への影響
デュフォー氏は時計界全体に多大な影響を与えています。
彼の仕事は多くの若い独立時計師たちにとっての指針となり、時計製造の技術と芸術性を今も示し続けています。
また、彼はAHCI(独立時計師協会)のメンバーであり、独立時計師たちの活動を支援する役割も果たしています。
コレクターからの高い評価
フィリップ・デュフォーの時計は、オークションでしばしば記録的な価格を達成しています。たとえば、「シンプリシティ」が競売で通常の新作価格の数倍に達することも珍しくありません。
このような市場価値の高さは、彼の時計がいかに特別であるかを物語っています。
主なモデル
グラン・プチ・ソネリ・ミニッツリピーター
1992年に発表されたグラン・プチ・ソネは、懐中時計に使われていたグラン・ソネリを腕時計に組み込んだモデルです。
グラン・プチ・ソヌリ・ミニッツリピーターは、バーゼルフェアの技術部門金賞を受賞し、フィリップ・デュフォーのブランドの存在が世界に知れ渡るきっかけとなりました。
デュアリティ
1996 年に発表された「デュアリティ」は、2つのテンプを搭載した最初の腕時計です。
ジュウ渓谷の時計製造学校で作られた二重テンプ式の懐中時計から着想を得て作られました。
シンプリシティ
日本において「シンプリシティー」はNHKの「小さな小宇宙」という番組で放送されたことから、ブレークしました。
「小さな小宇宙」は2人の天才時計師であるデュフォー氏とプレジウソ氏の私生活、時計の組立風景などを紹介した内容でした。
なぜこの二人だったのか?それは当たり前ですが旧知の友であることと、プレジウソ氏がデュフォー氏に「何か日本向けに作ったらどうか」とアドバイスする間柄だったからということでしょう。それが「シンプリシティー」だったのです。
バーゼルワールドで当時のSマンの代表がスイスでたまたまデュフォー氏の時計を見る機会があり「こんな素晴らしい時計がまだ代理店がない。これは奇跡だ。」と大感激し、契約したそうです。
私もSマン入社一カ月前に前オーナーに接客していただき価格を一桁間違えて大恥をかきました。
私「凄くいい時計ですね。50万円ですか!」
オーナー「いえいえ500万円です」
私「失礼しました。」
この会話からお分かりのようにそのくらい華美を嫌ったシンプルな時計だったということです。当初100個の予約を取りましたが、あまりにも反響が大きく200個まで枠を広げたわけです。
商品のお渡しまで
デュフォー氏の時計の代金の支払いですが昔ながらの方法を採用しました。
まず内金をいただきます。その資金で、製作者は材料などを購入と生活資金に当てます。
製品が完成して残金をいただきます。
この方法ですと注文する側は全額支払いの必要はなく残り半分を(例えば納期が2年なら24カ月で残金を調達できる)支払い製作者も立て替えの必要がなくWin-Winの関係になるわけです。この方法を採用した結果「シンプリシティー」は特別な富裕層だけのものでなく幅広い層のお客様にいきわたりました。
後日談ですが結局2年の製作納期は後半間に合うことはなく、注文したお客様は待ち遠しい気持ちと支払いが延びるわけですから結構助かったということは聞きました。
さて、納期がのびのびになったことからアシスタントである娘のマガリさんがヘルプにはいります。
マガリさんは、ヴァシュロン・コンスタンタンの複雑時計部門に勤めた後に、デュフォー氏の元で3年間働き、現在はパテック・フィリップの複雑時計修理部門に勤務しているとのことです。
たしかスイスアーミーにも所属していたと記憶しています。(兵役の義務期間だったかもしれません)
ファンイベント
目の前でジャーマンシルバーの地板(シンプリシティーは真鍮ではなくジャーマンシルバーを使用します)にコート・ド・ジュネーブの模様をつける様子や実際に歯車などを磨くジャンシャン、ダイヤモンドペーストなど数多くの道具を見ることと直接、日本およびスイスでお会いする機会に恵まれその人柄に感激。またご自身のシンプリシティーをつけるときは革ベルトをぴっちりと装着するのが氏の流儀であること、自分でお金を出して購入した時計がランゲ&ゾーネ社の「ダトグラフ」。日本にいらしたときに見せていただきましたがデュフォーさん的に絶賛に値する時計とのことでした。世界で最高のクロノグラフは「ダトグラフ」と仰っていました。
熱狂的な女性ファンの一人は車をプレゼントしたいと申し出ました。流石に驚きました。あとはお決まりのデュフォーさんとの記念撮影となるわけです。
Sマンオリジナル時計のクロワゾネダイヤル、サイドスライドミニッツリピーターには高評価をいただきました。私自身この2本はオリジナル時計の中でこだわりを持って作った作品ですのでとても嬉しかったです。
デュフォー氏との回想
デュフォー氏から教えていただいた中で印象深いことは、コート・ド・ジュネーブに関しては、今となっては装飾でメッキの技術が進んだので今はそのようなことをしなくても腐食はしないよ、とのことです。
また、時計は肉眼で20センチ離してみてOKならそれでよくて(シチズンもそうらしい)キズミでガンガン検査はしなくていいんだよ、というのが刺さりました。
デュフォー氏は、来日すると、「ヒコ・みずのジュエリーカレッジ(渋谷区)」に赴き学生の指導をしたり諏訪のEPSONに赴きクレドールのミニッツリピーター工場にて技術アドバイスもしておられました。大変クレドールの評価は高かったです。あとはシチズンの手巻きのムーブメントも視察されました。
最大の訪日の氏の楽しみは新橋高架下の焼き鳥屋と言えるでしょう。
とにかく気さくな天才です。
この記事を書いた人-監修
藤野
シェルマンを定年退社した元店長
製薬会社の研究開発からこの業界に入り、お金持ちにオールドパテックを売りまくる。
時計愛を拗らせてパテックからオメガやセイコーのデジタルウォッチまでこよなく愛する哲学者。
最近は昭和ノスタルジーとセイコーと愛犬のウィリアムに思いを寄せる
この記事を書いた人-
SY
イリスラグジュアリー新人時計ライター。
ブランドの歴史を研究中。