セイコーの歴史
常に時代の先を見て、技術力を示した時計を作り時代をリードする日本ブランド
セイコーの創業者、服部金太郎の「常に時代の一歩先を行く」という信念は、日本の一時計店であった服部時計店を、世界的なブランドにまで成長させ、現代に至るまで、世界に日本の技術力を示す大きな役目を果たしてきました。そんな服部金太郎の理念から、現代のセイコーのコレクションを見る楽しさまでをご紹介したいと思います。
服部金太郎の理念
服部金太郎は、1860年7月22日に現在の銀座四丁目の近くで生まれました。 服部は古物商の家庭に生まれ、そのことが彼の精密機器や計時への関心に影響を与えました。 1881年(明治14年)、21歳の服部金太郎は東京の銀座に小さな時計「服部時計店」を開業しました。これが彼の時計製造のビジネスへの旅の始まりとなりました。
江戸から明治へ移り変わる中で、時間に対する概念も改暦、定時法への変更等、西洋化という大きな変化がやってきました。
服部金太郎は外国商館から輸入時計を仕入れて、販売を行いました。江戸の古い慣習がのこる中、外国商館等を相手に、毎月きちんと代金を支払い、約束事は必ず守ったといわれます。
外国商館の信頼を得た金太郎は躍進し、創業後6年で1887年に銀座の表通りに進出、1894年には現在の和光の場所に新店舗を開くまでになります。
屋上の時計塔は、今でも銀座のシンボルとして親しまれています。
服部は強い起業家精神と、時計に対する品質へのこだわりを持っていました。
服部は、時計製造の国産化の可能性を認識し、輸入時計の仕入れ・販売で得た資金を元手に、時計の製造に着手します。
1892年、東京都墨田区に自社工場「精工舎」を設立し、掛時計の製造を開始します。精工舎は、機械部分の製造だけでなく、外装の部分も製造し、全てを一貫して製造する方法を取り入れました。
そして、設立からわずか6〜7年で日本一の掛時計工場にまで成長させます。1895年には最初の懐中時計「タイムキーパー」を製造します。
世界では、19世紀末には腕時計の量産が始まっていますが、日本ではまだ懐中時計が主流で、腕時計にはまだなじみが薄い時代でした。
そんな中「将来、腕時計の時代が来る」といち早く察知した服部は、1913年、日本初の腕時計「ローレル」を発売します。
ローレルの製造には、まだ設計図も作られていなかったため、部品ごとに同じ番号を刻印し、一対ごとに組み立てる製造方法でした。
そのため、一日に作られる時計の数は30〜50個程だったと言われています。
1923年の東京大震災では、工場が全焼し、約1500個もの時計の預かり品に大きな被害が出ました。服部はその全てを、同程度の新品を持って返品し、大きな話題となりました。
1924年、東京大震災の翌年、「精巧な時計を作る」という精工舎の設立時の概念に立ち返り、「セイコー」ブランドを誕生させます。
精工舎は震災の3年後から生産を再開し、火をあびた機械も6〜7割が修復可能だったこともあり、復興は順調に進みました。
そして1929年には、時計生産数が、震災前を越える100万個を達成しました。
1932年には現存する服部時計店本店(現/和光)が落成しますが、その翌年に服部は病に倒れてしまいます。
晩年には学術奨励の財団法人の設立を行う等、精力的に活動していましたが、1934年、73歳で亡くなりました。
「常に一歩先を行く」という創業者、服部金太郎の残した言葉は、セイコーが時代に先駆けて時計の技術開発に貢献し、日本の産業を牽引してきた証でもあります。
また、服部金太郎は、常日頃「急ぐな、休むな」という言葉を社員に投げかけていたといいます。
これは、無理に急いて仕損じるよりも、立ち止まらずに一歩一歩持続して働くことを説いています。
高品質な時計の製造に対する彼の着実な取り組みの歴史と、創業者としての信条は、セイコーの価値観と製品開発に、今もなお多大な影響を与え続けています。
セイコーの略歴
■設立と初期 (1881 ~ 1920 年代):
1881年 | 東京に宝飾品と時計の店を開店。後のセイコーとなる。 |
1892年 | 「精工舎」が設立され、事業が拡大。日本に置ける時計の自社生産の始まり。 |
1895年 | 懐中時計「タイムキーパー」が発売。 |
1913年 | 日本初の腕時計「セイコー ローレル」の発表。 |
1923年 | 関東大震災により工場が破壊される。 |
1924年 | 「セイコー」のブランドが誕生。 |
1930年 | 日本初の腕時計「セイコーマーベル」誕生。 |
1940年代 | 第二次世界大戦中、セイコーの生産は主に軍用時計に特化していました。 戦後、セイコーは日本の時計産業の復興に重要な役割を果たしました。 |
1969年 | 世界初のクォーツ時計「セイコー アストロン」を発売。 この出来事は時計業界に革命をもたらし、少なくとも一時的にはですが、伝統的な機械式時計の終焉の始まりともされました。この時期を指して「クォーツ革命」とも呼ばれます。 |
1975年 | 世界初のクォーツ式ダイバーズウォッチ、セイコークォーツ ダイバーズ150mを発表しました。 |
1983年 | 史上初のアナログクォーツクロノグラフを製造・販売 |
1988年 | キネティックウォッチ(クォーツの精度と自動巻きムーブメントの組み合わせ)の発表 |
1999年 | スプリングドライブ(クォーツの精度を備えた機械式時計)を発表 |
■多様化とグローバル展開(2000年代~現在)
セイコーは高級時計のグランドセイコーをはじめ、さまざまなブランドの商品ラインナップを世界に拡大しています。日本の美意識を具現化したクレドールは、これからの海外展開に期待が持てます。
セイコーの歴史は服部金太郎の信条に基づく革新性と精度への取り組みによって特徴付けられ、世界の時計業界のリーダーとしての地位を確立しました。同社の時計は、その品質と職人技だけでなく、時計製造技術の進歩への貢献でも知られています。
セイコーのコレクション
ここからは、セイコーのコレクションについて書きたいと思います。
グランドセイコー
グランドセイコーは、国産の最高級腕時計のラインとして、1960年に誕生しました。ブランドの目標は、当時、世界最高とされたスイス時計に匹敵する時計を作ることでした。これは、セイコーの精度へのこだわりと、日本の時計製造の力を世界の舞台でアピールしたいという願望からでした。
初モデル「57GS」は1960年に発売され、日本を代表する時計として世界的にも名声を得ることになりました。
時を同じくして、スイスの天文台コンクールにて日本のセイコーの時計が上位を席巻し(後述)、当時の機械式時計の精度の基準を上回る技術を実現しました。
「57GS」は当時の価格で2万5千円で発売されましたが、これは当時の大学初任給の2倍の値段にあたるという高級時計でした。
セイコーは、スイスの基準を上回る独自の精度基準を設けて、歩度証明書を付けて販売しました。
初期のグランドセイコーには、Chronometerという印字がありますが、これはスイスのクロノメーター検定に敬意を払い、セイコーが独自に自社の時計にも同じテストを実施したという証明でもあります。
その後1966年には初の自動巻モデル「62GS」を発売します。
自動巻を強調する為に、リュウズの位置が4時方向に移されケースに収まる形で隠すように配されています。
1968年、デイデイト付きモデル「61GS」からは、現行まで受け継がれる「ザラツ研磨」仕上の技術が用いられるようになります。
この技術はケースを仕上げる前に施す下地処理のことで、歪みの無い平面をつくる高度な研磨行程です。
1968年、初の婦人向けの小型モデル「19GS」が発売されます。
1969年、スイスの天文台コンクールにおいて優秀な成績を収めた記念として、特別に調整された究極の高精度モデル「61GS」が発売されます。
[クオーツモデル]
1988年にはグランドセイコー初のクオーツ時計「95GS」が発売されます。
1993年に世界最高峰の性能を誇るクオーツムーブメント「9F」、
2004年には時計製造技術の進歩への取り組みの証でもあるスプリングドライブムーブメントの「9R」が加わり、今もなお、更なる改良が進んでいます。
[スプリングドライブ]
機械式とクオーツのハイブリットムーブメントであるスプリングドライブは、ぜんまいを動力源とし、「トライシンクロレギュレーター」と呼ばれる電子調速機構によって高精度を生み出すセイコーの発明品です。
クオーツの正確性を保ちながら、電池切れを起こすことがないため、長期間の時間計測ができるという特徴があります。20年もの歳月をかけて開発されたスプリングドライブは、構成部品を日本の名工がその技術を集約させて作り上げており、まさに世界に誇れる技術革新と言えます。
スプリングドライブ搭載のモデルは特に現代のモデルで幅広く使われており、実用時計としての優れた性能を支える一つの要素とされています。
[グランドセイコー ダイバーズウォッチ]
グランドセイコー初のダイバーズウォッチは初代の発表から48年後の2008年に発売されています。
プロスペックスのダイバーズウォッチのデザイン、視認性や携帯性を踏襲しつつも、スプリングドライブを搭載することで環境の変化に強く、チタン製で堅牢性も確保しています。
グランドセイコーは合理的なものづくりで国際的な評価を得ており、今ではスイスの高級時計ブランドの明確な競争相手であると考えられています。
グランドセイコーとは、セイコーの時計製造の知識における頂点を表し、正確な精度のみならず、日本の技術と芸術性の証でもあります。このコレクションによりセイコーは高級時計市場を開拓することに成功しました。
キングセイコー
1961年に、亀戸(第二)精工舎はキングセイコーを発表します。
キングセイコーは、セイコーの最高級コレクションであるグランドセイコーに比べて値段は低くなるものの、品質はトップクラスです。
1961〜1964年までが初代モデルとなり、1965年に第2世代が発売されます。
第2世代から、防水機能が備わり、リュウズを引っ張ることで針が止められるハック機能が追加され、キングセイコー+ハック機能の文字を取って”KSK”とペットネームで呼ばれることがあります。
ダイヤルのレイアウトや、エッジの効いたケースのデザインなど、キングセイコーのデザインが確立された世代でもあります。
手巻き式キャリバー44系が搭載されていたことから”44KS”の名でも知られています。
キングセイコーの時計は、その精度と正確さで知られ、スイスのクロノメーター基準に匹敵する日差 -3秒 〜 +5秒という精度基準を達成しています。
過去発売されたキングセイコーの中には、ラウンド、トノー、クッション型など、さまざまなケースの形状のものがあり、それぞれの形に独自の魅力があります。
特徴的な部分として、裏蓋に、クロノメーターの象徴であるメダリオンが付いているモデルがあります。キングセイコーのアイデンティティでもあり、ヴィンテージの物で現在もきれいにメダリオンが残っている個体は貴重です。時代によって、ライオン、盾、KSの2文字のものと分かれます。
キングセイコーは、同様の機能を備えた競合の時計よりも手頃な価格で高品質の時計でした。そのため高級時計自体は高く評価するものの、スイス製時計や国内の高級時計に高いお金を払いたくない消費者にとって、キングセイコーは魅力的なものとなりました。
セイコーが他のコレクションに重点を移したため、キングセイコーの生産は1970年代初頭に中止されました。
しかし近年、セイコーはオリジナルのキングセイコーのデザインを元にした限定モデルを復刻した後、2022年にはレギュラーモデルとして「KSK」の名で復活させました。新しいキングセイコーも当時と同様のマーケットに対してグランドセイコーと同等の品質でつくられています。
キングセイコーは、セイコーの時計製造の歴史において重要な一章となっており、美しく作られた時計を高く評価するコレクターの関心が再燃しています。
キングセイコーとグランドセイコー
競争と共闘
セイコーの歴史における事実として、諏訪精工舎と亀戸(第二)精工舎の存在があります。
1960年の初代グランドセイコーは、諏訪精工舎から発表されましたが、翌年の1961年には亀戸精工舎からもキングセイコーが発表されました。当時、これらの工場が生き残りをかけた全面的な競争状態にあったと言われていましたが、同じシリーズ用のパーツが各工場で製造されていたため、むしろ共同作業もしばしば行われていました。
また、健全なレベルの競争を促すべく切磋琢磨し同じ工程の製造技術を競ったと言われています。その証拠として、セイコーの中で最も貴重なグランドセイコーとキングセイコーが共闘してつくり上げた時計があります。
スイス天文台コンクールへの挑戦
1835年にスイス・ジュネーブ天文台、1860年からスイス・ニューシャテル天文台にて行われた時計の精度を競うコンクールが行われ、各国の時計ブランドがこぞって参加し始めます。
日本のセイコーは1963年に可搬型水晶時計でニューシャテル天文台クロノメーターコンクールに参加し、外国メーターとして初受賞しました。1967年には、第二精工舎と諏訪精工舎が企業賞の2位と3位を獲得します。
セイコーは出品先をジュネーブ天文台コンクールに移し、1968年には、腕時計部門で一位を獲得するなど多数の受賞を果たします。
日本は新たにクロノメーター検定協会を設立し、更なる精度の向上を目指します。結果として、セイコーはこの時代、機械式時計において、世界最高峰レベルにまで到達することになります。
当時、コンクールで一位となった時計は、競技用ムーブメントを市販の「天文台クロノメーター」に組み込み本数を限定して発売され、現在では市場に出ることも稀な貴重なモデルとなっています。特に金無垢のモデルは入手が難しいとされています。
クレドール
クレドールは、セイコーのクラフトマンシップと精度へのこだわりを体現する最高級の高級時計を作ることを目的として、1974年(昭和49年)に誕生しました。
「クレドール」という名前は、フランス語で”黄金の頂き”という意味を持ちます。
クレドールのロゴは、”頂き”から連想される漢字の”山”と「完成」「技術」「技能」の三つの意味を持つ星から作られています。
1974年に貴金属を素材とするセイコーのラグジュアリーウォッチのグループを「クレドール」としてブランド化しました。
クレドールの時計は熟練した職人によって手作りされており、各時計は細心の注意を払って品質管理されています。
高品質のステンレススチール、ゴールドやプラチナなどの貴金属に加え、日本の伝統的な工芸に使われる螺鈿や漆などの珍しい素材からも作られています。
クレドールのシリーズの一部を紹介します。
●スケルトン:薄さ1.98mmのムーブメントに彫金を施し、スケルトン化されたケースから機械の動きを見て楽しめる時計。 初代モデルは1996年に誕生し、その彫金の模様は菊をモチーフとしたデザインで、クレドールのアート表現の代表格として頻繁に紹介されます。
その後、現代に至るまで、桜流水や波などのモチーフと、貴金属やゴールドの素材などを組み合わせたモデルを発表し続けています。
●叡智Ⅱ: 究極のシンプルをテーマとした、美しさを突き詰めた時計。
●シグノ: スペイン語で”印”を意味するシグノ。着用者の品格を表す”しるし”となるような真のエレガンスを表現する時計。ダイヤルやベゼルにダイヤモンドを散りばめたモデルも多いジュエリーウォッチ。
●カタナ:セイコーの彫金技術の粋を集めた作品、当時のセイコーは日本独自の美を表現する変革第二期で、高度な日本独自の宝飾技術を集約して美の表現と継承に力を注いでいました。行いも志も高いレベルにもっていかなければ、決して高級品は作れないという考えのもと、日本ならではの美をデザインに落とし込みたいという気持ちで、無我夢中で制作された日本刀のシルエットに着想を得たジュエリーウォッチで、非常に高い評価を得ました。
●フガク: セイコー初のトゥールビヨンモデル。北斎の「富嶽三十六景」をベースに立体的な彫金技法が美しいモデル。
セイコークレドールは、芸術作品とみなされることも多く、日本の伝統的な芸術性と時計の精度の融合を高く評価する、目の肥えたコレクターやユーザーからの人気が高いです。
アストロン
世界初の量産型クオーツ腕時計アストロンは1969年12月に「クオーツ アストロン 35SQ」として発売されました。
初代アストロンは18金で作られており、当時、45万円で発売されていましたので、ほぼ高級車並みの発売価格でした。
発売後にはニューヨーク・タイムズに製品に関する記事が掲載される等、世界的にも注目を集めました。
その後、セイコーが開発した音叉型水晶振動子、オープン型ステップモーターは現在のクオーツ時計の基準となりました
セイコーの精度の追求は、GPS電波時計の開発研究へと移り、2012年、高度な精度とGPSソーラーウォッチで知られる「セイコー アストロン」が発表されます。
セイコーアストロンは、10万年にわずか1秒の誤差という驚異的な精度を実現するように設計されれました。このレベルの精度は、太陽光発電とGPS受信機の両方を同時に使用することで実現されます。
また、太陽電池は、電池交換や時計の巻き上げの必要を無くし、機能性も向上しました。
このようにセイコーアストロンは、伝統的な時計製造と最先端のテクノロジーの融合を示すコレクションと言えます。
ワールドタイム
セイコー ワールドタイムは、異なるタイムゾーンを頻繁に行き来する旅行者やビジネスマン向けにデザインされた腕時計シリーズです。時計の文字盤に都市名またはタイムゾーンのマーカーを表記することで、着用者が世界の様々な地域の時刻を迅速かつ簡単に参照できるようになっています。
ワールドタイムのファーストモデルは1964年に東京オリンピックを記念して発売されました。
国産初の24時間針とワールドタイム機能がついた腕時計で、オリンピックイヤーで海外との繋がりを意識した製品です。
インデックスは昼夜がはっきり分かるように上下で色分けされており、視認性も高いです。
1969年のセカンドモデルからはシンガポールが追加されますが、セカンドの現在の流通量は少ないです。
3rdモデルからの特徴としては、インデックスの形に合わせて24時間針が少し折れ曲がった形をしており、ディティールの細かさに驚かされます。その後、4thモデルまで登場しました。
スポーツマチック・ファイブ / セイコーファイブ
スポーツマチック・ファイブは、1963年に発売された男性用自動巻腕時計です。手頃な価格、耐久性などが人気となり、大ヒットとなりました1964年には腕時計として初めてグッドデザイン賞を受賞しています。
同年の東京オリンピックで世界的なアピールに成功したセイコーは、1965年から一気に「ファイブ」の輸出を拡大させます。
1960年代は、交通網の発達とともに出張や旅行といった移動の機会も増え、ビジネスマンや女性用時計の需要が拡大していった時代でもあります。そのため、防水機能や自動巻機能を搭載した腕時計が若い世代に広まり、あたらしい市場が生まれていきました。
スポーツマチックファイブの「ファイブ」は、自動巻、防水、デイト表示、4時位置のリュウズ、耐久性のあるケース、の5つの機能を差します。
2019年にセイコーファイブスポーツを再発表、2023にもオリジナルを再現したモデルを発売する等、現在もヴィンテージモデルとしての価値は高まるばかりです。
セイコー・ファイブは、特にさまざまなアクティビティに対応できる、信頼性の高い日常的な時計を探している人々の間で人気があります。コレクションは多様で、ダイビングや航空に興味がある場合でも、単にスタイリッシュで信頼性の高い日常用時計が必要な場合でも、さまざまな好みやニーズに合わせて幅広いモデルを提供しています。
セイコーの歴史は、服部金太郎の信条に基づく革新性と精度への取り組みによって特徴付けられ、世界の時計業界のリーダーとしての地位を確立しました。時計製造技術の進歩に大いに貢献したセイコーはこれからもその価値を高めていくことでしょう。
この記事を書いた人-
SY
イリスラグジュアリー新人時計ライター。
ブランドの歴史を研究中。