独立時計師特集【第1回】

brand-study

独立時計師特集【第一回】監修:藤野

独立時計師とは

現在、世界中で取り合いになっている独立時計師の時計ですが、そのブームのはじまりが日本だったことを皆さんはご存知でしょうか?これから独立時計師について紹介する前に、ブームが起こる前に日本の現場で何が起こっていたかを、当時シェルマンに勤めていた藤野氏にインタビューしました。それを理解することにより、一層独立時計師の魅力が伝わると思います。

当時のSマンは愛好家なら知っている日本にアンティークウォッチの文化を広めた名店です。そこでは何を基準に時計を仕入れ販売していたのでしょうか?それを知る事により、時計の価値とは何かを知る事にしましょう。

フィリップ・デュフォー
シンプリシティ

お客様から店員へ

バブル全盛期の価格は現在の様に高く無く、毎月現行の新品を購入していました。コレクションは200本程あったと思います。
その生活の中でアンティークウォッチとのはじめての出会いは、極上のロレックスバブルバックピンクゴールドをシェルマンで手にしたことがきっかけでした。そのケースの曲線美、手のこんだダイヤルの造り、横からみたバブルバックの愛らしさ、現行品との違いに衝撃を受けました。

そしてパテック・フィリップにおいては、現代の時計のようにシースルーバックの時代では無いにもかかわらずローターの彫金、ブリッジの仕上げ、パーツの磨きこみなどが、見た目の美しさだけではなく永く使うための必須条件であったことも知り、文字盤、ケース、機械など手作業でこれだけの時計を作ってしまう当時の職人の熱い思いを感じました。

これらのことを多くの人に知って頂きたいと思い、当時勤めていた外資の製薬会社を辞め、自分で楽しむことから伝える側になったのです。

アンティークウォッチに魅せられて

バブル全盛期の価格は現在の様に高く無く、毎月現行の新品を購入していました。200本程あったと思います。

その生活の中でアンティークウォッチとのはじめての出会いは、極上のロレックスバブルバックピンクゴールドをシェルマンで手にしたことがきっかけでした。そのケースの曲線美、手のこんだダイヤルの造り、横からみたバブルバックの愛らしさ、現行品との違いに衝撃を受けました。

そしてパテック・フィリップにおいては、現代の時計のようにシースルーバックの時代では無いにもかかわらずローターの彫金、ブリッジの仕上げ、パーツの磨きこみなどが、見た目の美しさだけではなく永く使うための必須条件であったことも知り、文字盤、ケース、機械など手作業でこれだけの時計を作ってしまう当時の職人の熱い思いを感じました。

これらのことを多くの人に知って頂きたいと思い、当時勤めていた外資の製薬会社を辞め、自分で楽しむことから伝える側になったのです。

藤野氏のアンティーク時計を愛でるポイント

1つ1つの時計には独自のストーリーがありますが、まずは感性を頼りに自分の好みに合ったデザインの時計を選ぶことが良い時計愛好家としての第一歩です。時計を手に取った時に、自分の服装・生活様式・人生観にどれだけ合うかを考えて判断します。

特に機械式時計は魅力的で、製造年から時代背景やブランドの歴史を知ることで、時計に対しての愛着が深まります。さらにモデルの種類や複雑さ、ムーブメントの種類や手間をチェックすると時計の魅力が増します。

時計のコンディションは重要です。経験から判断するしかありません。極上のコンディションを手に取った時の感動は、並みのコンディションを手にしてきた経験によるものです。信頼できる人(この場合、お店やスタッフ、愛好家)に、どれくらいの使用感があるか、オリジナルパーツか、修理歴はあるか、などを確認します。

ロジェ・デュブイ シンパシー クロノグラフ
ロジェ・デュブイ シンパシー クロノグラフ / ムーブメント

アンティークの経年変化を受容し楽しむ方法

あるお客様が「古いものになれば、二度の世界大戦をくぐり抜けてきた時計たちが、今、このように自分の手元にあること自体が奇跡なんだよ。」とおしゃいました。

30年代~40年代の時計は作り手と顧客の距離が近く時計を楽しむ時代であったと思います。裏蓋に記念彫りがある個体は、メッセージから大切な人へ送った時計が紆余曲折を経て自分のところに来るまでのストーリーを想像する楽しさ、ルーペで拡大して刃の彫刻した部分を鑑賞するなど、時計のストーリーとエージングを楽しむことをお勧め致します。オメガの限定品がそれをオマージュしています。

アンティークウォッチは文字盤のバリエーションも豊富で小粋なデザインが多いです。エージングした針、インデックス、夜光塗料など温もりが伝わってきます。

私は経年変化を説明する時、お客様に「上手に年齢を重ねた紳士、淑女」という表現を使います。それはきちんと手入れをして、かつしまい込むのではなく大切に使い、手塩をかけて手入れをされた時計のことです。文字盤のシミ、夜光の修復、メンテナンスで入れ替わったリュウズなど、それはその個体の歴史であり味でありオンリーワンの魅力なのです。

その時計もさらに経年変化していきます。

それが逆らえない自然の摂理であり、アンティークウォッチを楽しむ王道です。

フォルジェ ジュネーブ クロノメーター

アンティークはいずれ枯渇する

時間が経つにつれ、多くの時計は劣化や破損が進み、良好な状態のアンティークウォッチの数も少なくなります。しかし、製造数が少ないモデル等は、需要が高まると希少性が増し、市場での価値も高まります。

そして何より、貴重なアンティークウォッチは収まるところに収まってしまう(愛好家が手放さない)ため、どんどん良いものは流通しなくなってきています。そうなると、お金があってもアンティークウォッチが買えない状態におちいります。

1980年代は小売店に時計が並べばなんでも売れるバブル期で、たくさん時計が製造されましたが、アンティークウォッチは既に枯渇していたのです。やがてアンティークウォッチが無くなるのではないかという危機感から、動き出した時計屋が藤野氏の勤めていたシェルマンでした。

その時、Sマンでは

Sマンは1990年頃から、アンティークウォッチが枯渇する未来を見据え、後世に残せる時計を探し始めました。パテックの並行輸入からはじまり、もっと良いものは無いかという事で、差別化という所もふまえて独立時計師に至りました。

1950~60年がスイスウォッチの黄金期になりますが、ジュネーブシールを基準として考えました。当時、既に組織的にジュネーブシール付きのロジェ・デュブイやフォルジェなどの素晴らしいブランドが始まっていましたが、このレベルに匹敵する時計を一つの時計屋の規模で扱うことは、もはや独立時計師にしかできないという判断をしたのでした。そして、最終的にデュフォー氏などに行きつくわけです。

ロジェ・デュブイ


~~第2回に続く~~


この記事を書いた人-監修
藤野

シェルマンを定年退社した元店長
製薬会社の研究開発からこの業界に入り、お金持ちにオールドパテックを売りまくる。
時計愛を拗らせてパテックからオメガやセイコーのデジタルウォッチまでこよなく愛する哲学者。
最近は昭和ノスタルジーとセイコーと愛犬のウィリアムに思いを寄せる

→藤野のリコメンド

この記事を書いた人-
SY

イリスラグジュアリー新人時計ライター。
ブランドの歴史を研究中。