オーデマ・ピゲの歴史
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はじめに
一族経営による妥協を許さない崇高な伝統が根付いた時計製造のトップ企業
オーデマピゲは1875年に設立されたスイスの高級時計メーカーです。
創業者の一族による経営を現在まで続けながら、スイスと世界各地に1000人近い社員を要する時計産業を代表する企業の一つです。
その高品質な職人技、時計の自社一貫製造「マニュファクチュール」を行う数少ない企業として知られ、複雑時計やロイヤルオークなどの象徴的なモデルを含む機械式時計の製造を行っています。
オーデマ・ピゲの歴史を遡ると、スイスのジュウ渓谷の小さな村、ル・ブラッシュの地域に根付いた時計職人による豊かな歴史がありました。
いかにして、オーデマ・ピゲは世界を代表する時計企業となったのか、その時計業界に与えた影響も含めて、紐解いていきたいと思います。
ロイヤルオーク以前
オーデマピゲ発祥の地、スイスのジュウ渓谷は、年の1/3を雪に覆われている自然豊かな地です。
この地の岩から鉄を採掘出来たため、冶金(やきん)産業か活発となります。15世紀頃から、ジュウ渓谷の人々は長い冬の間に鉱山の採掘と冶金を行い生計を立てました。鍛造技術とそれに伴う芸術性の高い設備を発達させるとともに、次第に洗練の技術を高めていきました。
このため、時計産業の前に、ジュウ渓谷のル・ブラッシュ村では、まず高品質のナイフツールや、製造ツールの製造が盛んになりました。
時計作りが活発になったのは1740年ごろに、サミュエル=オリヴィエ=メイラン(1721-1755)が個人で遠方に時計を学びにいき、村に戻ってから時計製造の知識を広め発展させたことからでした。
サミュエル=オリヴィエ=メイランは村で最初の時計職人となり、ジュウ渓谷の時計産業の誕生に貢献することになります。
メイランが時計師として活躍しだすと、村の若者が皆、時計職人という高貴な職業を目指すようになりました。
1769年には、ジョゼフ=ピゲは時計師の見習い期間の終了とジュウ渓谷時計会社への入社を記念して「マスターウォッチ」の懐中時計を制作します。
(この懐中時計は、現在オーデマ・ピゲのアトリエ美術館に展示されている最古の時計であり、現在はジョゼフ=ピゲの玄孫、オリヴィエ=オーデマが所有しています。)
ジュウ渓谷の職人たちが密なネットワークの中で協力して働いていたため、時計産業はますます街の中心となります。この地域に発達した家族経営の職人を中心とする仕事のシステムは「エタブリサージュ」として知られていました。
ジュウ渓谷の時計師達は、18世紀終わりから19世紀にかけて多くの実績を残しました。
時計作りのパイオニアであるルイ=パンジャマン=オーデマとその子息は、パテック・フィリップやイギリスの時計企業等に多くの時計を納品しました。
1875年、ルイ=バンジャマン=オーデマの甥の息子、ジュール=ルイ・オーデマが家業を継ぎ、エドワール=オーギュスト・ピゲと手を組みます。
最初の6年間は、オーデマ・ピゲはジュネーブの時計ブランド向けの複雑ムーブメントを製造販売しました。
当時、ジュウ渓谷には、多くのムーブメント製造会社がありましたが、完成品を売っている企業は希少でした。
そこで、創業者の二人は完成品を製造販売することに決めました。
当時の著名な時計メーカーであるブレゲ、ウーダン、ルロワ等にムーブメントと時計を製造し高い評価を得ました。
1881年12月7日土曜日、ジュール・オーデマとエドワール・ピゲは彼らの共同会社「オーデマ・ピゲ」を設立しました。
創業者の2人は1918年と1919年に数ヶ月の間隔で相次いで亡くなりますが、すでにこの時、オーデマ・ピゲ社は20人以上の社員を雇用しており、その成功を反映して、社屋は少しずつ拡大されていました。
1925年には世界で最も薄い、厚みわずか約1.3mmの懐中時計用ムーブメントを開発します。
二度の世界大戦、世界恐慌の影響の強い中、二代目の経営者達はブランドの維持に努めます。
オーデマピゲは、カルティエやティファニー、ギュベリンといった高級ブランドに顧客を持ち、彼らは文字盤に自社ブランドを刻印しました。 また、ブレゲ、パテックフィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタン、ピアジェなどのメーカーには、シンプルな、あるいは複雑機構のムーブメントを提供していました。
第二次大戦が終わると、オーデマピゲに新たな繁栄の時期が訪れます。
1946年、厚さわずか1.64mmの世界最薄の手巻きムーブメント(cal.2003)を開発します。このキャリバーによって、「コイン」ウォッチと呼ばれる本物の金貨の中に組み込んだ時計などが製作されました。
1945年に入社したジョージ・ゴレーが、1962年にポール・エドワール・ピゲから営業部長の職務を引き継ぎ、彼の元でオーデマ・ピゲは再び高級路線の路線に専念するようになります。ジョージ・ゴレーの職務を支えたのが、ポール=ルイ・オーデマの息子のジャック=ルイ・オーデマです。
そして、1972年、クォーツ時計の登場によりスイスの時計産業が経営の危機に瀕していた時代に、後に世界的に有名になる「ロイヤルオーク」が誕生します。
このふたりによって超薄型時計のコレクションが開発され、ブランドは飛躍的に発展します。
ロイヤルオークの発表
クォーツムーブメントの出現により、当時のドレスウォッチよりも安価で入手しやすく耐久性の高い代替手段が提示されるようになりました。
これは伝統的な機械式時計メーカーにとって存続の危機を引き起こしました。
消費者は、よりアクティブなライフスタイルを取り入れ、エクストリームスポーツを楽しむようになっていました。世界的な文化の変化と経済の低迷を背景に、非常に複雑な、そして壊れやすいドレスウォッチはますます時代に合わないものとして認識されるようになりました。
1971年、オーデマ・ピゲは、ここで革新的な変化がなければ財政破綻は避けられないと認識しました。
そして、これまでに見たことのないスポーティでありながらエレガントな時計を導入する時期が来たと判断しました。
スチール製のラグジュアリーウォッチの可能性について、イタリア市場からのフィードバックを受け、オーデマ・ピゲは、これまでにないコンセプト デザインの、エレガントでありながらスポーティな高級時計という、まったく異なるものを発売するというアイデアを思いつきました。
同社のマネージングディレクター、ジョルジュ・ゴーレーは、新しい時計の製作に、スイスの時計デザイナー、ジェラルド・ジェンタを選びました。
ジェラルド・ジェンタは当時最も有名な時計デザイナーの一人であり、ユニバーサル ジュネーブ (ポールルーター マイクロターズ、ホワイト シャドウ、ゴールデン シャドウ)、オメガ コンステレーション、およびパテック フィリップ (ゴールデン エリップス) 等の時計のデザインで既に成功を収めていました。
ゴーレー氏はジェンタ氏に電話し、イタリア市場が、あらゆる場面で使用できる、これまで見た中で最も美しい仕上げを備えた「前例のないスチール製時計」を求めていると伝えました。言い伝えによれば、ジェンタは一晩の間、作業に没頭し、翌朝までにロイヤルオークを発明したといいます。
彼は後にこのデザインを「キャリアの最高傑作」と評しました。
この象徴的なスチール製時計は、伝統的なダイバーのヘルメットから着想を得たもので、特別なブルーのタペストリーで飾られたギョーシェの文字盤、8本のネジが組み込まれた八角形のベゼルが特徴でした。
ロイヤルオークは当初、激しい批判の対象でした。その奇抜なデザインと法外な値段から、多くの批評家はオーデマピゲが数か月以内に破産するだろうと言いました。
しかし、ロイヤルオークのデザインの魅力と品質の高さが流行に敏感な人々に伝わり始めると、次第に売れていきました。その後、ロイヤルオークはオーデマ ピゲにとって大成功を収めたコレクションとなり、ジュー渓谷の時計メーカーの一大シンボルとなりました。
ロイヤルオークのヒットにより、スチール製のラグジュアリースポーツウォッチが定義され、その後、パテックフィリップやヴァシュロン・コンスタンタンなどの他社メーカーとの競争が始まるなど、時計業界に大きな変化をもたらすことになりました。
オーデマピゲにとっては、スイスの時計産業全体がクォーツ危機を脱するきっかけをつくりだすと同時に、急速な生産拡大の時期の到来となりました。
初代ロイヤルオーク Ref.5402のAシリーズは今でも希少で、以降のB、C、Dシリーズにはシリアルに1000以下の数字がありません。
これはディレクターのジョルジュ・ゴレーが1000以下の数字をAシリーズのものだけにしておきたかったのではないかとされています。
ロイヤル オーク A シリーズは、文字盤のAPイニシャルが、歴代のシリーズのように12時位置ではなく、6時位置に配置されているため、簡単に認識できます。
こうして、他のブランドのラグジュアリーウォッチよりも高価なスチール製スポーツラグジュアリーウォッチを発売するという同社の賭けは功を奏しました。
ロイヤルオーク発表後
1987年にジョージ・ゴレイが死去した後、オーデマ・ピゲは、使用するムーブメントの約半分を自社で生産する真のマニュファクチュールに成長しました。商業的に成功する中で、オーデマ・ピゲはロイヤルオーク オフショア、ミレネリーなどのコレクションを発表し、数々の名作と呼ばれる時計を誕生させました。
世界各地へオーデマ・ピゲの店舗が出店するなかでも、家族経営のファミリースピリットに基づく価値観は失われず、ブランドの価値として残り続けています。
世代を超えて引き継がれる伝統の技術は、将来のジュウ渓谷の時計製造の基礎となり、永続的なオーデマピゲの発展へと繋がるでしょう。
オーデマピゲの主なコレクション
超薄型腕時計 | 創業当初からのオーデマピゲが得意としてきた、腕時計の薄型化と複雑機構の組み合わせ。 |
スケルトン 懐中時計 | 1934年に発売された懐中時計で、ダイヤルの下にムーブメントが見れる作りです。 |
ロイヤル オーク | ジェラルド ジェンタによってデザインされ、1972年に発表されました。 |
ロイヤル オーク オフショア | 1993年に発表されたロイヤルオークを、よりスポーティで堅牢な個体にしたシリーズ。 |
ミレナリー | 楕円形のケースが特徴。アーティスティックなデザイン要素が組み込まれたシリーズ。 |
code 11.59 | 2019 年に発表。時計製造に対するオーデマピゲの現代的なアプローチを示します。 |
薄型時計への挑戦
最先端技術を駆使した超薄型時計の製作は、創業者2人にとって重要な課題でした。
通常、薄型時計を製作するには、機構の厚さは増やさずにサイズを側面に広げますが、超薄型となると、さらに部品感の遊びの部分を狭くして小型化する必要があります。
こういった薄さを追求したモデルの中には、ウルトラシンや極薄型と称され、区分されていくモデルもあります。
1925年には1.32mmという世界最薄の懐中時計用のキャリバーを発表しました。
1946年には、腕時計でも厚さ1.64mmの手巻きキャリバーを発表するなど、機械式ムーブメントの技術開発をリードしていきます。
1967年には、キャリバー2121が自動巻きの世界最薄ムーブメントとして登場、厚さは2.45㎜でした。こちらはその後、ロイヤルオークに搭載されたことでも有名です。
ロイヤルオーク
先述のとおり、ロイヤル オークは、1972 年に発表されたオーデマ ピゲのフラッグシップモデルで、著名な時計デザイナーのジェラルド・ジェンタによってデザインされました。ステンレススチール製のラグジュアリースポーツウォッチの始まりを示すものであり、高級時計の歴史の中で重要な位置を占めています。一体化されたブレスレットはケースにシームレスに溶け込み、リンク幅が先へ行く程に細くなります。
ロイヤル オークは、ステンレススチールの素材を高級時計に使用することで常識を覆しました。
手作業による研磨やブラッシングなどの時計の仕上げには、オーデマピゲの細心の注意を払った職人技へのこだわりが反映されています。
ダイヤルはタペストリーと呼ばれるギョーシェパターンで装飾されています。
初代ロイヤルオークのムーブメントは世界で最も薄い3.05mmの自動巻ムーブメント cal.2121を搭載していました。
長年にわたり、ロイヤルオークは、様々なサイズ、素材、限定版などの多岐にわたるバージョンを発表してきました。
ロイヤル オークによって、スチール製時計が高級品であるという認識が新しく生まれることとなり、時計産業に極めて重要な役割を果たしました。
ロイヤルオーク パーペチュアルカレンダースケルトン
ロイヤルオーク パーペチュアルカレンダー スケルトンは、超薄型ムーブメント2120や、1978年にオーデマ・ピゲが開発したパーペチュアルカレンダーを搭載し、誕生しました。スケルトン加工がロイヤルオークとムーブメントの魅力を更に引き立てます。
スケルトン / 1996 年
ロイヤルオーク クロノグラフ
ルーベンス バリチェロ / 2006年
日付機能を備えた自動巻のロイヤルオーク クロノグラフは、オーデマ・ピゲの中でも最も成功を収めたモデルの一つです。
このモデルに搭載された厚さ5.5mmのムーブメントは、自動巻きクロノグラフのものでは最薄でした。
性能も高く、5気圧の防水、毎時21,600の振動数、パワーリザーブは40時間を保ちました。
素材はスチール、イエローゴールド、ピンクゴールドなどが揃っており、文字盤にはダイヤモンドをで飾ったジュエリーモデルなど様々でした。
ロイヤルオーク オフショア
1992年、オーデマはロイヤルオーク オフショアを発表しました。
ジェラルド=ジェンタ氏のオリジナルデザインを、ケース幅42mm、厚さ15mm の大振りなパッケージとして刷新しました。制作したのは当時22歳だったエマニュエル・ギュエ氏です。
前例のない巨大なケースサイズから「ビースト」の愛称で親しまれたこのモデルですが、オフショアの発売は当初賛否両論でした。オフショアが1993年のバーゼルで発表されたとき、ギュエ氏の回想によれば、ジェラルド・ジェンタ氏は「ロイヤル オークが完全に破壊されたと叫びながらブースに侵入した」など、多くのコレクターが失望したといいます。
しかし、若い世代の時計コレクターの間でオフショアには急速に愛好家がつきました。
特に、アーノルド・シュワルツェネッガーはロイヤル オーク オフショアに感銘を受け、カスタマイズバージョンを注文し、それが映画『エンド オブ デイズ』に登場してセンセーションを巻き起こしました。
その後も、ロイヤル オーク オフショア コレクションは、F1レースやバスケットボール選手、スポーツ イベントに関連して作られたモデルに加え、130以上のバリエーションを増やし、長い開発期間を経て進化していきました。
映画「ターミネーター3」にて
アーノルド・シュワルツェネッガーが着用
ロイヤルオーク コンセプト
ロイヤルオークの30周年にあたる2002年には、ロイヤルオーク コンセプトが発表されました。
斬新で未来的かつ豪華なこの時計は、ブランドが考える将来のロイヤルオークの姿を探求するものでした。
ロイヤルオークコンセプトは、航空業界で使用される、軽量で耐久性に優れた弾力性のある素材、コバルト合金602を使用しています。
その結果、ロイヤルオークコンセプトは耐衝撃に優れ、50気圧防水を確保するなどの性能を持ちます。
サファイアガラスから内部のムーブメントを見ることができ、トゥールビヨン、ダイナモグラフ、パワーリザーブの付いたモデルでした。
当初150本限定モデルとして発売しましたが、すぐに完売となりました。
ロイヤルオーク トゥールビヨン
こちらも限定生産の最高級モデルの一つです。1997年に発売されたロイヤルオーク トゥールビヨンは、オーデマピゲのメカニズムが集約された最高級時計でした。
6時位置に複雑機構トゥールビヨンが配置され、ブルーのダイヤルとのコントラストが美しく、時計を引き立たせます。
70時間のパワーリザーブを実現し、ギョーシェのパターンも美しく存在感のある仕上がりです。
レディ ロイヤルオーク
レディ ロイヤルオークは1976年に最初のモデルが発表されました。
宝石をセッティングしたマザーオブパールの文字盤、パヴェダイヤモンド、手作業で作られたサテンストラップなど、高級ジュエリーやオートクチュールの壮麗さを取り入れることにより、時計製造の可能性を広めました。
オーデマ・ピゲは、レディロイヤルオークのサテンストラップを製作するために、高級刺繍業の世界的中心地スイスのサン・ガル(Saint Gall)で、およそ100年の歴史を持つ刺繍工房と提携を組みました。
刺繍のレリーフがきらきらとひかるサテンストラップを使用したラグジュアリーウォッチは、レディースロイヤルオークコレクションの美しさを示しています。
複雑時計について
オーデマピゲが創業以来得意分野としているのが、時計表示に何らかの機能を備えた「コンプリカシオン」と呼ばれる分野です。父と祖父に手ほどきを受けたジュール・オーデマとエドワール・ピゲは、それぞれの得意とする分野でノウハウを注ぎ込み、複雑時計を製作しました。
ムーンフェイス、ジャンピングチャイム機能、複数の複雑機構を搭載した「グランコンプリカシオン」等、彼らが手がけた機構の数々は、今に至る迄その技術が引き継がれています。
グランドコンプリカシオン
グランドコンプリカシオンとは、パーペチュアルカレンダー、スプリットセコンドクロノグラフ、ミニッツリピーターの3つの機構を搭載した複雑時計です。
オーデマ・ピゲは1875年の創業以来、年に少なくとも1本はこのような超複雑機構を備えた懐中時計を制作してきました。
今日もなお、特別注文により年15本程製作されています。
オーデマ・ピゲの工房にはグランドコンプリカシオン専用の工房があり、専門の時計師が製造に携わっています。
構成部品数は数百点にも及び、1つの時計を作るのに全て手作業で600〜700時間もの作業時間を要し、注文から手に届くまで1〜2年は待たなければならないとされています。
パーペチュアル(永久)カレンダー
パーペチュアルカレンダーはジュウ渓谷の得意とする機構の一つで、4年で一回転する歯車を組み込むことで、閏年に対応した日時を示します。
1978年のバーゼルフェアにて、初のパーペチュアルカレンダーを備えた自動巻時計(Ref.5548)を発表しました。時計の厚さが4.05mmと、当時、複雑機構を持った時計としては最薄であり、搭載されたキャリバー2120/2800の厚さはわずか3.95mmでした。
Ref.MU.00237 / 1945年
ソネリ
ソネリはフランス語で「時鐘」を意味します。
音楽で時刻を知らせる機構は、オーデマピゲの複雑時計の中でも最初の専門分野でした。
現在「リピーター」と呼ばれる機構には様々な種類があります。
「グランソネリ」は、毎正時と15分単位を自動的に音で知らせます。「プチソネリ」は、毎正時のみを伝える機構です。
最も複雑と言われるのは「ミニッツリピーター」で、一分単位で正確な時刻を告げます。
ミニッツリピーター
ミニッツリピーターは、ミニチュアハンマーとコイルゴングによって時刻を知らせる複雑機構です。
ケースの側面の小さなレバーをオンにすることで、一連のチャイムが鳴ります。低音と高音の2種類の音で時刻を知らせる機構で、その組み合わせは実に720種類にもなります。卓越した職人技と、精度が要求される機構です。
グランソネリ
時、分、秒を3つの鐘で奏でるミニッツリピーター
スプリットセコンドクロノグラフ
スイスの時計職人、ルイ=フレデリック・ペルレが1827に特許を取得したスプリットセコンドクロノグラフはオーデマ・ピゲの当初からの専門分野でした。
スプリットセコンドクロノグラフは、経過時間を測定できるストップウォッチ機能です。
時針、分針に加え、クロノグラフ針とスプリットセコンドクロノグラフ針があり、中間タイムを見る為にセコンドクロノグラフ針を止めて時間を見ることが出来ます。
もう一度ボタンを押すと、セコンドクロノグラフ針はクロノグラフ針に追いつき、そのまま計測を続けます。
ミニッツリピーター / 1918年
トゥールビヨン
重力の影響で時計の歩度に生じる誤差を補正する機構。
一定の速度で回転するキャリッジ内に、ガンギ車、アンクルテンプといった調速機構が組み込まれています。
1分に1回転するこれらの機構によって、姿勢差を補正することが出来ます。
トゥールビヨンのような複雑な機構を製造できるマニュファクチュールはごく僅かで、トゥールビヨン自体を見るためにケースに開口部が設けられていることがあります。
自動巻きトゥールビヨン腕時計/1986年
10時位置の開口部にトゥールビヨンが見える
パワーリザーブ
オーデマピゲは、1885年頃には巻き上げが必要になるまでの時間を表示できる装置を開発していました。時計のデザインによって文字盤のどこにでも配置が出来るパワーリザーブインジケーターです。
現在では、最低でもおよそ36時間程の作動時間は保たれていますが、オーデマピゲの時計の中には1週間、または10日の作動時間を実現したモデルも発売されています。
ジャンピングアワー
1921年にオーデマピゲは、世界で初めてジャンピングアワー機構を持つ腕時計を発売しました。
時刻を示す数字が刻印されたディスクが1時間ごとに回転します。小窓に見える数字が次の数字に移るときにジャンプするように見えたため、このような名前がつきました。
第二次世界大戦後のちょうどアール・デコの影響が広がっている時代で、直線や幾何学模様が流行っていた時期でもありました。
小窓表示付き時計はシンプルながら機能的な一面を持ち合わせ、時代背景にも合致したため流行しました
ジャンピングアワー
ジャンピングアワー / 2009年
オーデマピゲは、ジャンピングアワーの成功を受けて、ミニッツリピーターと並ぶ得意分野となったジャンピングセコンド機能を腕時計に組み込もうとしました。
ミニッツリピーターとジャンピングアワーの二つの複雑機構の同期は非常に難しいとされましたが、1992年に特別限定生産の腕時計として、発売するに至りました。
ラージデイト
日付の1、10の位の数が別々のディスクに印刷されており、
2枚のディスクを組わせることで日付を大きく表示することができます
この機構はラージデイトやビッグデイトの流行を生み出しました。
元々はデジタル表示時計から着想を得たデザインとなっています。
フドロワイヤント
ジャンピングセコンドとも呼ばれるこの機構は、固有のダイヤルを、4回、またはそれ以上、ジャンプしながら1秒に1周する小さな針のことです。
こうして、特にクロノグラフ時計などは、非常に細かい時間まで計測することが出来るようになります。
19世紀のスイス、ジュウ渓谷ではすでにおなじみの技術になっていたようで、オーデマピゲ博物館には1891年にこのフドロワイヤント機構を持った懐中時計が展示されています。
ムーンフェイス
今日作られている「グランコンプリカシオン」の全ての時計にムーンフェイズが備わっています。
機能的にもさることながら、文字盤の美しさにも大きく貢献しているムーンフェイスですが、高い精度が要求される機構でもあります。
月が満ち欠けする周期は、平均29日12時間44分2.88秒であり、その推移を表示するには29.5歯の歯車が必要ですが、それは無理なので、1つの歯車で2月分の周期を示すことで解決しています。さらに誤差を調節する為に歯数をコントロールして製造しています。
ギュベリンブランド / 1928年
ジュールオーデマ
ジュール オーデマ コレクションは、ブランドの共同創設者の一人、ジュール ルイ オーデマに敬意を表したコレクションです。
通常のモデルからグランドコンプリカシオンまで多岐にわたったモデルが存在しますが、他のコレクションと比べて、より伝統的で控えめな美しさが特徴です。シンプルですっきりとしたラインのラウンドケースが特徴的です。
ドレスウォッチとして、フォーマルな機会やより洗練された外観が必要なシーンに適しています。
中でも、「ジュールオーデマ エクストラシン」は、薄型ムーブメントの技術を表した代表的なモデルです。ケース厚は、わずか6.7mmです。
他には、ギョーシェ模様、織り目加工の表面、ローマ数字の文字盤などの伝統的な仕上げが施されているモデルがあります。
Ref.15058BC.OO.A001CR.01 2001年
code 11.59
code 11.59 は、2019年の初頭に発表されました。
code 11.59 という名前は、新しい日の夜明け、真夜中の一分前に立っていることを示唆し、12:00の一分前という意味合いで付けられました。
ラウンドケースの間に八角形のミドルケースが埋め込まれたデザインが特徴的です。中央の八角形のケースは、ロイヤル オークとの関連性を表しています。
発売に際しては、13モデル及び、3種類の新しいキャリバーを搭載したことで話題となり、フライバック機能を備えたクロノグラフ、パーペチュアルカレンダー、およびミニッツリピーターの複雑機構が含まれていました。
オーデマ・ピゲの当時のディレクター、ベン・ニミアス氏はcode 11.59の発売に際し
「印象的でありながら簡単には真似できない、現代的なクラシックなモデルを発売するというアイデアでした」と語っています。
code 11.59 コレクションは、高い水準の職人技と技術革新を維持しながら、よりモダンで多様な製品をより多くの顧客にアピールするというオーデマ・ピゲの取り組みを表しています。
オーデマ・ピゲとレディースウォッチ
19世紀にオーデマ・ピゲの名声が確立されるとともに、レディースウォッチの開発も行われてきました。
1890年には既にメンズモデルを一回り小さくしたレディースモデルがオーデマ・ピゲのラインナップに加えられており、ミニッツリピーターなどの機能を搭載したモデルも存在しました。
1910年代、ダイヤモンドをあしらいミニッツリピーターを備えた女性用のブレスレット時計を発表しました。
しかしながらこの時期に製作された女性用のジュエリーウォッチは、ミニッツリピーター搭載の数モデルを除いては、複雑機構を搭載していませんでした。この時代のモデルは、装飾と宝石のセッティングを活かした純粋なジュエリーと言えます。
アールデコ様式のデザインが一斉を風靡した1920年代、オーデマ・ピゲは、女性のセンスのみならず、女性の新しい生活様式に答えるような洗練されたジュエリーウォッチを次々と発表しました。
1925年には、バケット・キャリバーの開発から、その細長い形から「バケット」と呼ばれる小型の時計が誕生しました。
当時、非常に高い評価を得たこの時計は、宝石やゴールドのシンプルな物まで、様々なモデルが製作されました。
オーデマ・ピゲのレディースウォッチは1970年代に、2度目の飛躍の時を迎えます。
これはクォーツ時計の流行によるアジア圏の市場拡大と、カラット数を求めた時計への需要が拡大したことによります。薄型の機械式かクォーツ式キャリバーを搭載した、丸形やクッション型、長方形、オーバル型など、様々なケースの時計が採用されるようになりました。
そして、オーデマピゲは1970年代、ダイヤモンドの縁取りを施したユニークな独自のジュエリーウォッチ等で成功を収めます。
また、オパール、ラピス・ラズリ、サンゴ、オニキスなどの半貴石を用いた文字盤の時計も製作しました。
Ref.MU.00035 / 1894年
Ref.MU00118 / 1894年
これらの時計と平行して、1977年からは、ロイヤルオーク、そしてジュール・オーデマ、ミレネリーコレクションにおいてもレディースウォッチが発売されました。
1980年に誕生した機械式自動巻ムーブメント搭載のロイヤルオーク レディースモデルウォッチは人気を博しました。
以降、毎年、様々な装飾、マザーオブパールや多彩なカラーの文字盤でレディースウォッチを発売しています。
2004年には、「レディロイヤルオーク」と名付けられたシリーズが発売され、その壮麗さを兼ね備えたデザインで有名です。
2007年には、オーバル型のミレネリー コレクションに、複雑機構の組合わさったレディースウォッチが加わりました。
「ミレネリー シエル エトワール」と名付けられた時計は、13世紀のフランスの細密画から着想を得たものです。
インデックスには星形にセットされたダイヤモンドがあしらわれ、大きなブルーのインデックスが美しく輝きます。
1時と2時の間に流れ星をイメージした パワーリザーブが表示され、9時位置にムーンフェイズが備わっています。
裏蓋のサファイアガラスからは自動巻ムーブメントを見ることができます。
また2008年のロイヤルオーク オフショア クロノグラフ日付表示付きのモデルはホワイトカラーに包まれた時計で、323個のダイヤモンドセッティング、マザーオブパールの文字盤、等が人気です。
この時計は、女性のあいだで高級機械式時計のコレクターが増えていることを背景として製作されました。
オーデマ・ピゲにおける現在のレディースウォッチの頂点は、高級ジュエリーウォッチの数々です。
その中には、世界で1点物の贅沢の限りを尽くした時計、ダイヤモンドをふんだんにセットした時計など、豪華絢爛な装飾が特徴です。
その輝きの中に、機械式時計ムーブメントを埋め込んでいます。
また、そういったジュエリーウォッチとセットで、イヤリング等の専用アクセサリーもデザインしています。
高級な装飾や、デザインの創造性をふんだんに詰め込んだ高級ジュエリーウォッチのシリーズは、装飾品の完璧な美しさを表現するオーデマ・ピゲの価値観をよく表しています。
薄型ムーブメント
オーデマピゲの特に取り上げられるムーブメントについて記載します。
1892年 | 世界初のミニッツリピーター ムーブメントを開発。 | |
1946年 | キャリバー9ML | 腕時計用としては最も薄い手巻きムーブメント、キャリバー9MLを発表。厚さはわずか1.64mmだった。 |
1967年 | cal.2120 | ジャガールクルトCal.920をベースに作られた、オーデマ・ピゲで最も有名な自動巻きムーブメント。厚さわずか2.45mmで、セントラルローターを備えた世界最薄の自動巻きキャリバーの称号を得て、その地位は数十年にわたって維持されることになった。 今もなお、センターローターとしては最薄を誇る。パワーリザーブ約40時間。 |
1972年 | cal.2121 | 初代ロイヤルオーク搭載機。cal.2120に日付機能が追加された。 |
1980年代 | cal.2870 | 当時世界最薄の自動巻きムーブメントであるトゥールビヨンキャリバーCal.2870 オーデマ ピゲの自動巻きトゥールビヨンRef.25643に搭載され、そのケースの厚さは4.4mmしかなかった。 |
2000年頃 | cal.2120/2808 | Cal.2120の派生ムーブメント。永久カレンダー、ムーンフェイズ、日出・日入り表示の機能を搭載する。 |
2003年 | cal.3120 | 21世紀以降のモデルの基幹となった完全自社開発のムーブメント。多くのロイヤルオークに搭載される。 ジャガールクルトCal.920をベースとしている。パワーリザーブ約60時間。 以前のムーブメントと比べ、厚さは1.2mm増したものの、性能面の進歩があった。 |
2019年 | cal.4302 | ムーブメントサイズのサイズがさらに一回り大きくなり、パワーリザーブは約70時間に。 テンワの慣性モーメントは大幅にアップし、精度が増した。 |
参考文献
・Audemars Piguet : Le maitre de l’horlogerie depuis 1875 / Flammarion
・時計以上の何か #beyondwatchmaking EXHIBITION 2019
この記事を書いた人-
SY
イリスラグジュアリー新人時計ライター。
ブランドの歴史を研究中。