ロレックス中東モデル研究室【第2回】

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ロレックス中東モデル研究室【第2回】

~ハンジャール文字盤について~

 一般の日本人にはハンジャール(Khanjar)という言葉に馴染みがないでしょう。熱心な時計コレクターでさえ、聞いたことがないかもしれません。

しかし、湾曲したダガーとベルト、交差した2本の剣の紋章は、それが文字盤に描かれたロレックスを中心とした腕時計価格の上昇と共に、コレクターの間では存在感が増しています。

ハンジャール文字盤の背後にある歴史は興味深く、どのようにして誕生したのかを知るには、産みの親であるオマーン国王カブース・ビン・サイード(在位:1970年7月23日 – 2020年1月10日)について知ることが不可欠です(以下サイード)。サイードは、亡くなった2020年時点では中東およびアラブ世界で最も長く在任した指導者であり、在位期間はほぼ半世紀に上りました。

カ ブース・ビン・サイード

サイードは代々のスルタンを輩出してきたマスカットおよびオマーンのスルタンの家に、サイード・ビン・タイムールの一人息子として南部の港町サラーラで生を受けました。幼少期を同地で過ごし、インドで16歳まで過ごした後にイギリスに留学。サンドハースト王立陸軍士官学校を卒業した後、短期間英国陸軍に勤務しました。

サイードは 1966 年にオマーンに戻りましたが、父親から事実上の自宅軟禁下に置かれ、ごく少数の友人との交流のみが許されました。しかし1970年、英国の支援を受けたカブースはクーデターで父親を打倒し、オマーン王位に就きました。

その後、この国はオマーン・スルタン国と改名されました。ハンジャールはオマーンのシンボルとしてサイードによって導入され、新国の国旗にも記されました。

では、如何にして建国したばかりの国家が、いくつかの歴史ある著名時計ブランドに、ブランドロゴと並んで同国の紋章をプリント出来たのでしょうか?そこにはサイードがイギリス在住時にジョン・アスプレイの知己を得たことが介在しているそうです。

ジョン・アスプレイは、本店をロンドンのニュー・ボンド・ストリートに置く高級百貨店の経営者でした(アスプレイは日本でも日本橋高島屋に出店しています)。特定の時計の文字盤にハンジャールを配置するアイデアはアスプレイからもたらされたと現在では考えられています。

というのもアスプレイは、各有名時計ブランドとダイレクトに連絡を取れる存在であり、アイデアを実現化するのに最適な存在でした。サイードとしては国権を掌握した際、歴史ある著名ブランド時計の文字盤に国章であるハンジャールをプリントさせる事でオマーン・スルタン国の正当性を認めさせ、新国家の影響力と認識を広める狙いがあったと言われています。

SNSのなかった当時、時計を付けた受贈者を国の宣伝マンとして働かせる事はサイードの狙いを達成する有効な方法だったことでしょう。

 さて、ハンジャール文字盤のバリエーションを紹介していきましょう。



第一はオマーンの国家シンボルであるハンジャール。
冒頭でも説明した、湾曲したダガーとベルト、交差した2本の剣で構成された紋章です。


第二はハンジャールの上部に王冠が組み合わされた紋章です。スルタンとその家族の個人的な紋章で、スルタン旗上でも確認できます。


第三はオマーン国家警察の紋章です。王冠とその周りに花輪を付けたハンジャールで構成されています。警察の勤務メンバーにのみ与えられていました。


ハンジャール文字盤には主にオマーンの国旗(赤、緑、白)に合わせた配色が使われることが多いです。
この他に、金や黒のパターンがあります。

オマーン国旗


この記事を書いた人
ZEN

エネルギートレーディング業に従事する国際派。職業柄か中東モデルの研究に余念がない。座右の銘は”お金惜しむな名を惜しめ”。