ピアジェの歴史
個性的なデザインの美しさと 宝飾工芸技術で人々を魅了し
様々な試みをし続ける独創的なブランド
ピアジェの歴史
創業の地 ラ・コート・オ・フェ
ジュネーブから車で2時間ほど北へ行ったところに、スイスの時計産業の中心地の一つであるジュラ山脈地帯はあります。フランス国境に沿って、小さな村が連なり、道沿いにはいくつかの時計メーカーの看板も見られるこの地域、標高は平均しておよそ1000メートル、冬になれば雪に閉ざされます。かつて勤勉な農民たちが、農業の閑散期に、時計作りに精を出したということも頷けます。
ラ・コート・オ・フェもこうした小さな村の一つであり、今日も時計製造の本拠地となっています。ラ・コート・オ・フェは、フランス語で羊を意味しており、村の紋章にも羊が描かれています。
しかし、この村の名前はひとつの時計メーカー、すなわちピアジェが工場を創設し、発展を重ねていくとともに、世界中に知れ渡るようになりました。また、ピアジェは村の人々の生活を支える大きな柱でもありました。
17世紀が終わりを告げる頃、ジュラ山脈地方では時計作りが始まりました。
ドイツや、フランスから移り住んできた時計職人たちがジュネーブで時計作りを始め、それが次第に北へと広がってきたためでした。
生来、働き者のこの地方の農民たちは、プロテスタントの教えの影響を受けて、質素に、そして勤勉に、日々の暮らしを営んでいました。
特に、雪で閉ざされてしまう冬の間は、手先の器用さと目の良さを活かして、親方から材料をもらい、時計の部品作りに精を出していました。
こうして時計作りが副業として根付いていきました。
19世紀に入ると、スイスでも産業の近代化が進み、それまでそれぞれが分業で行っていた時計作りは、やがて一つ屋根の下で集まって作業を行う工場の形態をとるようになります。
ジョルジェ・エドワール・ピアジェ
1874年、19歳のジョルジェ・エドワール・ピアジェが、スイスのヌーシャテル州ラ・コート・オ・フェに時計工房を開きました。
まず、脱進機の製造工房からはじまり、次第にムーブメント製作に没頭します。やがて、他メーカーに向けた完成品の組立までを行うようになりました。
高品質で定評を得たピアジェのムーブメントは、数々の名高い時計会社に提供され、事業も発展していきました。
当時の顧客台帳を見ると、ジュネーブにある時計会社にムーブメントを供給していたことが記録されており、その中には、ロレックス、バシュロン・コンスタンタン、カルティエなどの名前がありました。
ジョルジェ・エドワール・ピアジェは1931年に、76歳でその生涯を閉じました。
その後の経営は、4番目の息子である ティモテ へ受け継がれ、事業内容は、ムーブメント生産から、時計および、懐中時計の製造へと移っていきます。
やがて、1940年代に入ると、ティモテの息子 ジェラルドとバレンタインが経営に加わり、ピアジェは更なる変革期を迎えます。
1943年にピアジェの著名を文字盤に入れ始めました。つまり、時計メーカー「ピアジェ」の誕生でした。
自社製造の高精度ムーブメントを搭載した、他の名門メーカーにも劣らない高級時計を世に送り出しはじめたピアジェは、1945年、現在のピアジェの原点となる、大きなマニュファクチュールをラ・コート・オ・フェ に設立します。こちらには、200人ものの技術者を雇い、村の発展にも大いに貢献します。
そしてこの年、ジェラルド・ピアジェが社長に、バレンタインが副社長に就任し、ピアジェ家3代目が指揮をとる新たな時代を迎えます。
ビジネスセンスに優れたジェラルドは、世界中でピアジェの販売を行いました。ブレスレットウォッチやコインウォッチなどが、ピアジェの時計として徐々に知られるようになっていきます。
また、バレンタインによって、高精度の薄型時計の探求が始まりました。
1957年のバーゼルフェアで発表した、厚さ2mmの超薄型手巻きキャリバー9Pは大きな反響を起こしました。
そして、1960年には厚さ2.3mmの超薄型自動巻きキャリバー12Pを生みだしました。
また、同時期には、ピアジェは、貴金属、あるいはゴールドかプラチナの時計しか製造しないと宣言します。
このこだわりは、のちの1970年代に確立した外装デザインのスタイルに繋がる大胆な決断でした。
彫金の技術とジュエリーウォッチ
1960年代にピアジェの独特なデザインの基礎が築かれました。
ジュネーブの宝石工場や、外装工場を買収し、様々なデザインの装飾時計作りが進められます。
1960年代に生まれた”パレス装飾”は、ピアジェの彫金の技術を表すアイコンの一つです。
ゴールドの表面に、幅や細さの異なる極細のラインを掘り入れ、奥行きのある輝きを作り出す手法です。
時計作りにおけるギョーシェ彫りから発想を得たとされる繊細な加工は、限られた職人のみが持つ高度な技術です。
半貴石
1964年には、ヒスイやラピスラズリ、マラカイト、トルコ石などの半貴石を文字盤に使ったモデルの生産を決定しました。
わずか、0.7mmの暑さの文字盤は脆く、加工は容易ではありませんでしたが、自然が作り出した色彩は独特の個性を表現しました。
超薄型ムーブメント9P、12Pは、エレガントで個性的な時計に相応しいものでした。
こうしてピアジェは、独創的な発想をもつマニュファクチュールという地位を気づき上げました。
1964年にはボーム&メルシェを買収、事業拡大へと進みます。1966年、ジェラルド・ピアジェの息子のイブ・G・ピアジェが25歳で入社しました。高級メーカーとして確立したピアジェを世界に広める役割を果たしてきたのがイブ・G・ピアジェです。
社交的で各国の著名人との輪を広げ、上流階級の間でピアジェの存在感を高めたのでした。
ダリとのコラボ
ピアジェの大胆で華やかなデザインは、当時のスターや芸術家達の注目も集めました。
1967年、ピアジェはダリのデザインした金貨を独占的に使用する契約を結びました。
1980年代にはコラボレーションモデルを発売しています。
その中のダリ ドール(Ref.9025)は、文字盤にダリのデザインした彫刻が施されたコイン・ケースと、尾錠部のエングレービングが特徴的な時計です。
ダリの金貨には、ピアジェの極薄ムーブメントを収められています。
時計としてだけではなく、アクセサリーとしても使用でき、ピアジェの細やかな美しい作業が見て取れるモデルです。
1970年代のデザイン的な挑戦
1970年代のピアジェはさらに大胆なデザインの時計を生み出しています。
文字盤やケースに限らず、ブレスレットにも貴石を使ったピアジェのスタイルを確立していきます。
そして、70年代のサイケデリックな流行に乗せて、ゴールドや貴石を巧みに組み合わせた、まるで時計がブレスレットの一部となるようなデザインの時計を生み出します。
ドレスウォッチを牽引する存在となったピアジェは、精度や複雑機構を追い求めるのではなく、あくまでジュエラーとして、その装飾にこだわり続けました。
アメリカでの販売戦略
ピアジェ・ポロはピアジェにとって初めてペットネームをつけたモデルでもあります。
そのきっかけはアメリカ市場でした。
アメリカ側の優秀なビジネスマンの影響により、初めてピアジェの名前を冠した「ピアジェ・ポロ」は、世界で最も高価な時計といった触れ込みで約20,000ドルの高値で発売されました。
その艶やかなデザインとともに注目が高まり、アメリカにおけるピアジェの名声を高めました。
そして、下記に記すような著名人もピアジェの時計を着用するようになり、60年代から70年代のアメリカの上流階級の憧れの時計となりました。
ダイヤモンドとエメラルドが翡翠の文字盤を囲む
ジャクリーン・ケネディが用いたのは、↑のデザインでブレスが「パレス装飾」のタイプ
有名人との関係
ジャクリーン・ケネディ大統領夫人は、ピアジェのジュエリーウォッチを着用。そのほか、エリザベス・テイラー、ソフィア・ローレン、エルビス・プレスリーなど、当時の最も輝かしいスターたちの注目を集めました。
アンディー・ウォーホールは、1973年からピアジェの時計を収集し始め、少なくとも10本は所持していたとのことです。
1974年、腕時計のクォーツ化が急速に進む中、ピアジェは厚さ3.1mmのキャリバー7Pを開発、1979年にはこのムーブメントを搭載し、防水性を持たせた「ピアジェポロ」を発表し、話題となりました。バレンタイン・ピアジェの息子、ガブリエル・ピアジェも技術者としてピアジェに参加し、ラ・コート・オ・フェでムーブメント開発に携わるようになっていました。
1988年には、リシュモン・グループの一員となり、近代的な企業として着実に歩みを始めます。
創業からおよそ70年にわたるムーブメント制作の時代、その後の飛躍の時代、70年代のピアジェスタイルの絶頂期の時代、リシュモングループによる経営の近代化の時代を経て、今なお、時計製造とジュエリー製造において無限の創造性を発揮し続けています。
ピアジェの概要
要約
超薄型機械式時計と高級ジュエリーの製作で知られるスイスの有名な高級時計メーカー兼宝石商です。1874年にジョルジュ・エドゥアール・ピアジェがスイスのラ・コート・オ・フェ村に設立した同社は、当初は高精度の時計ムーブメントの製造に注力していました。
その後、完成品の時計の製造へと事業を拡大しました。
現在も、その類稀な職人技術の象徴としての地位を確立しています。
年表
1874年 | ジョルジュ・エドゥアール・ピアジェはラ・コート・オ・フェの家族経営の農場に最初の工房を設立し、高精度のムーブメントの製作を専門とし、すぐにその高い精度と品質で評判を得ました。 |
1911年 | ジョルジュ・エドゥアールの息子ティモテ・ピアジェが事業を引き継ぎ、同社は時計製造に完全に重点を移しました。 他の有名な時計ブランドにムーブメントを供給し始めました。 |
1943年 | 創業者の孫であるジェラルドとバレンタイン・ピアジェのリーダーシップの下、ピアジェはブランド名を登録し、自社名で時計の製造を開始しました。 |
1957年 | わずか2mmの厚さの超薄型手巻き機械式ムーブメント、キャリバー9Pの導入。ピアジェは超薄型時計分野のリーダーとしての地位を確立します。 |
1960年 | 当時世界最薄の自動巻きムーブメント、わずか2.3mmの厚さのキャリバー12Pを開発。時計製造におけるブランドの革新性に対する評判は、さらに確固たるものに。 |
1964年 | ピアジェは宝飾時計の制作に挑み、ハイジュエリーと精密な時計製造を融合させた、豪華な時計を製作しました。ピアジェが高級ジュエリーの世界へ進出するきっかけとなります。 |
1979年 | ピアジェ ポロが発売され、スポーティさとエレガンスを兼ね備えた象徴的なモデルとなりました。 このモデルはラグジュアリーウォッチのシンボルとなり、世界中のセレブやエリートのユーザーに愛用されました。 |
1988年 | 世界有数のラグジュアリー・コングロマリットの1つであるリシュモングループの一員となりました。 この買収により、ピアジェは世界的な存在感を高め、その伝統を継承することができました。 |
主なコレクション
アルティプラノ | ミニマルなデザインと極薄ムーブメントで知られるコレクション | |
ピアジェ ポロ | スポーティでありながらラグジュアリーな時計であるポロ コレクションは、同ブランドの最も象徴的なモデルの1つとなっています。 | |
ライムライト ガラ | 洗練された女性にアピールする、ダイヤモンドをあしらったベゼルと、柔らかな曲線を備えたコレクション。 | |
ポセション | もともとジュエリーのラインだったポセション。くるくると回転するベゼルと、取り外しのしやすいストラップでファッショナブルなコレクション。 | |
ハイジュエリー | ピアジェは、ウォッチ・マニュファクチュールに加えて、贅沢で独創的なデザインで知られるハイジュエラーでもあります。 |
超薄型時計製造における最薄ムーブメント
キャリバー 9P (1957) | わずか2mmの厚さの初の超薄型手巻きムーブメント |
キャリバー12P (1960) | 2.3mmの世界最薄の自動巻きムーブメント |
近年の注目のモデル
アルティプラノ アルティメット コンセプト (2018): わずか2mmの厚さの世界最薄の機械式時計。ピアジェの絶え間ない技術開発の追求を物語っています。
※2024には上記の2018のモデルをベースにした「アルティプラノ アルティメート コンセプト トゥールビヨン」が発売。
筆者のおすすめ
薄型の9Pムーブメント、またはその派生型を搭載したモデルならなんでも魅力的だと思います。
まず有名なものが18Kブレスのピアジェ ポロですね。まさに2024年9月に創業150周年の新モデルが発売されますが、やはりゴールドの重量感、手首につけた時の喜びはありますね。
また、石の文字盤を備えたピアジェのヴィンテージ時計は非常に人気が高まっています。
ピアジェの特徴は、その作品ごとに込められたデザイン、多様性にあると思います。ヴィンテージモデルは、売りに出されているものは、もう一度、全く同じものを見つけるのは大変なことです。
特に1960年代から1980年代にかけてのピアジェの作品は、可能な限りユニークな作品に近づいていますので、ヴィンテージショップで気に入ったデザインのものを見つけたら、早めにチェックしてみることをおすすめしますね。
ピアジェの昔の製造方法で作られた石の文字盤やゴールドのブレスレットの時計を買うことは、もう長くはできないと思いますので。
まとめ
今日、ピアジェは時計製造とジュエリー業界の両方のリーダーであり続けています。
同ブランドは、超薄型時計製造の伝統にこだわり続けながら、ハイジュエリーの新たな創造の一歩を模索しています。
ピアジェの作品は世界中のブティックや正規販売店のネットワークを通じて販売され、これからも贅沢さと洗練されたデザインを愛する人々の間で、人気を博し続けていくでしょう。
この記事を書いた人-
SY
イリスラグジュアリー新人時計ライター。
ブランドの歴史を研究中。